田代商店ブログ
●私事ですが『生きる』ということ(2021/8/30)
先日、とてもお世話になった人が亡くなりました。
会社で一番お世話になっているのは当然現社長ですが、二番目にお世話になったと言える、そんな方です。
ただの事務員として入社した私に、この業界のこと、仕事のこと、お客様のこと、いろいろ教えてくれました。
私が事務以外の仕事に携わるようになり、仕事上で意見がぶつかることもしばしばあったのですが、
私にとってはいつでも頼りになる上司に変わりありませんでした。
今思えば、年若の私が口いっぱい意見を言っていたのだから、当時はそりゃあ腹が立っただろうなと思います。
でも、思い出すのはお世話になった記憶と、楽しい思い出ばかり。
毎朝、コーヒーメーカーで入れたコーヒーとたばこをおいしそうに飲んで、
お祭りが好きで、男の子の孫が欲しくてほしくて、
私が結婚して3人目にして男の子が生まれた時には『うらやましい、うらやましい。』と、
この地域の風習の『だんご馬』の話をして悔しがってました(藁
同じ町内なので毎年同じ神社の祭りに参加していて、
『天狗さんに頭撫でてもらったら病気せんのや!』と、
私の子供さらうように天狗のところに連れて行って子供が大泣きして慌てたり、
鯉口を着せた長男を見て羨ましがったり。
お客様との電話中に横で大声でしゃべって怒鳴られたこともありました。
普段温厚な方だけに、あの時はホント怖かった。
明らかに私が悪かったので、電話が終わって謝ったら、『いや、こっちも大声出してすまんな。』と。
今は、いい思い出です。
定年を迎え勇退されたのですが、その時にはすでに病を患っていて。
一進一退、闘病しながらの5年だったそうです。
最後にお会いしたのは、一昨年のお祭り。
でも、ほんの一瞬目の前を通り過ぎた時に挨拶をしただけで、話も何もしなかった。
いつもは足を止めて『お久しぶりです、お元気ですか』と短い間でもお話しするのに。
一昨年は道端で移動中に挨拶だけ。
今思えば、あれが、最後だったんだなぁ。
去年もお祭りがあったなら会えたかもしれないのに。
コロナのバカヤロウ!!
本人と家族の希望で家族葬とのことでしたが、お顔を見せてもらいました。
キレイなロマンスグレーでダンディな雰囲気すらある方だったのですが、
治療の影響で髪がなかったせいか、仏様のような安らかさを感じるお顔でした。
最期はしんどい思いをされたと聞いたけど、今はホッと一息ついているのかもしれません。
手を合わせたあと、奥さんに
『ブログいつも楽しみに読んでたよ』
って教えていただいた時には、涙が止まりませんでした。
もっとたくさん書けばよかった。
もっともっと会社のことを伝えればよかった。
みんな元気でしっかりやってるよ!って。
翌日は、奥さんや息子さん娘さんお孫さん、親類の皆さんにに涙涙で送られて、
早すぎる旅立ちでしたが充実した幸せな人生を生きたんだろうと思えるご葬儀でした。
直接お礼を言うことはできませんでしたが、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
どうぞゆっくり休んでください。
失礼な話ですが、若い時はご葬儀に参列しても亡くなった方との直接の接点や関りはほとんどなく、
親族の方とのお付き合いの関係で参列することがほとんどでした。
なのでどこか他人事で、少し離れた感情で見ていたように思います。
でも最近は、すごくお世話になった方や身近な人のご葬儀に参列することがあり、
昔よりも『死』を身近に感じ、いろいろと考えさせられることが増えてきました。
自分や家族はどうやってこの時を迎えるのだろう。
できることなら満たされた感情で、みんなが納得してこの時を迎えたい。
じゃあ、そのためには今は何をすればいいの?
どう生きたい? どう死にたい?
人の『死』に接するたび、自分のこれからを考えます。
後悔しない生き方。
文字で書くのは簡単だけど、実行するのは難しい。
だって、毎日後悔ばっかりだもん!!
でもそれが私だし、そんな自分も嫌いじゃない。
だから後悔しつつもそれを受け入れ納得し、満足して生きていきたい。
そう思わずにはいられません。
今しかできないことって、想像以上にたくさんある。
さて、何からしようかな。