田代商店ブログ
●私の勝手な持論(2019/4/10)
無意識は意識の積み重ね。 無意識は意識の中で育つ。
私の勝手な持論です。
家に帰ったらまず手を洗う
車に乗ったらシートベルトを締める
畳の縁や敷居は踏まずに跨ぐ
雑誌の角を揃えて置く など、
クセ、こだわり、しつけ、そんな言葉が当てはまるものも多いかもしれませんが、
元々は意識してやっていた行動が、時を重ねるうちに当たり前になっていった、そんなことありませんか?
ご飯を食べる姿勢が悪いと怒られて、直す、
また姿勢が悪いと怒られて、直す、
また怒られて、直す、
怒られるのがイヤだから意識するようになる、
意識して姿勢を正す、怒られない、
たまに忘れて怒られて、直す、
意識して姿勢を正す、褒められる、
意識して姿勢を正す、・・・
いつの間にか、意識しないでも良い姿勢でご飯が食べられるようになっていた
こんな感じでしょうか。
今、自分が当たり前にやっていることも、実は小さい時からの積み重ねで。
今、無意識にやっていることのほとんどは意識の積み重ねで成り立っている。
そういうふうに私は感じています。
ということは、ですよ。
意識してすることでそのうちそれが無意識に出来るようになる、ということなわけですよ。
なので、冒頭の、『無意識は意識の積み重ね。無意識は意識の中で育つ。』という言葉になるわけですね。
最近、ヒシヒシと身に染みて思います。
無意識ってコワイって。
自分では当たり前の普通のことでも他人にとってみれば違うことってあって。
それを無意識下でやってしまうのって悪意がないだけにタチが悪いなぁって。
悪意がないって、つまり悪いという認識すらないってことですから。
そう思うと、意識するって大事だなぁと思います。
成りたい自分。
そう在りたい自分。
自分はどんな人間に成りたいのか。
自分はどんな人間で在りたいのか。
それをイメージして行動することでいつかそういう人間になるのだと思います。
人間の性善説と性悪説ってありますよね。
私は断然、性悪説派です。
だって、欲望に忠実に行動すれば自分勝手な行動になるはずなんですよ。
自分さえよければそれでいい、自分さえ生きていれば周りはどうなってもいい。
人間だって動物なんだからそれが自然なんだと思います。
でもそうしないのはなぜか。
小さい時からそう教育されるから。
そして、他人の目に映る自分を意識しているから。
無意識下の意識が働いて良い人間であろうとしているのだと思います。
無意識下の意識が働いて良い人間で在るべきだと行動するのだと思います。
なんせ、イメージをする、意識する、っていうのはとても大事なことだと思うわけで。
それを日常的に行うことで行動って大きく変わってくると思うんですよね。
意識して イメージして 行動をする
そのうち、
意識したイメージに近づくための行動が無意識に取れるようになる
結果、
いつの間にか意識したイメージ通りの自分になっている
あなたはどんな自分をイメージしますか?
どんな自分で在りたいと思いますか?
そうなった自分を強くイメージしてみてください。
そうすると、自然にそうなるための行動が出てくるのかもしれませんよ。
私も強くイメージして毎日を送りたいと思います。